2019年1月12日No.75 ワンセンテンスブログで論語の「仁」を考える。
人を思いやり、まごころで生きることは美しいこと。「仁者」であろうと自身のあり方を選ばなければ、賢い人にはなれないという意味です。
仁に里(お)る=仁に身を置くと解釈したのは荻生徂徠で、江戸時代の儒学者です。
孔子の論語、里仁第四の一 の言葉です。
仁者の住む里(村落)に住むのが良い、仁者のそばに選んで居ることで知恵ある者になれる、という解釈もあるようです。
この一節の中で私が着目したのは、「えらびて」という部分です。
自分のあり方は自分で選択しているという意識が大切なんだなぁと思います。
「仁」について、今週は論語の一節を引きながらつれづれに考えてきました。
人のことを思いやること、まごころなどと表現してきましたが、論語の中では明確な定義はなく、人の最高の徳のことを指していることは確かです。
私たちは「仁」に言及されているいろいろな一節から推理するしかないそうです。
性善説と性悪説があります。
私は生まれながらに「善」の心を持っていると思っています。
その源泉はイマジネーションの力で、特に他者と共感する力だと思っています。
この力は得手、不得手はありますがそもそも誰もが持っている力です。
人のことを自分のこととして共感することが善につながり、共感にもとづいて自分の行動を自ら選択することができる人が「仁者」なのではないかと考えています。
全くの私論ですが、今思う結論です。