№249 ワンセンテンスブログ。毎日を忙しく暮らす中で、宇宙のことを考えてみるのもいい。
今日のワンセンテンス
宇宙に始まりがある限り、宇宙には創造主がいると想定することができる。だがもし、宇宙が本当に全く自己完結的であり、境界や縁を持たないとすれば、始まりも終わりもないことになる。宇宙はただ単に存在するのである。だとすると、創造主の出番はどこにあるのだろう?
出典『ホーキング 宇宙を語る』林一訳、早川書房
ホーキング(1942 – 2018)はイギリスの理論物理学者です。
1960年代、学生の頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症、「車椅子の物理学者」としても知られています。
一般の人向けにも分かりやすい宇宙論を語り、『ホーキング 宇宙を語る』が翻訳されています。
私の存在は小さい
夜道を歩く自分は、地球の上の埃にも満たない存在。ましてや宇宙から見ると何に例えることができるのでしょうか。
宇宙は、境界なく縁(ふち)もなく、ただ存在するだけだとホーキング博士は言います。
月並みですが、なんて私の存在は小さいんだろうと率直に思います。
考えること、悩んでいること、取るに足らないことです。
私の存在は有限
自分の存在には、始まりと終わりがあります。
生と死のことです。
人間は有限の存在です。
無限の「場」に有限の自分がいるということ。
ホーキンス博士の言葉を解釈すると、始まりと終わりがあれば創造主が想定できることになります。
有限の私の存在は誰かが創ったということが想定できるわけです。
神さまなのでしょうか?
神さまなのかもしれませんが、私はキリスト教への信仰はあません。
創造主を想定するのは主として西洋の宗教が多いと聞いています。また、仏教には創造主という考え方はないように聞いています。
両親なのでしょうか?
確かに両親がいなければ、私の始まりはないわけですから両親が創造主と言えそうです。
しかし、私にとっては有難く尊いものではありますが、創造主と呼ぶほどの絶対的な存在ではありません。
有限の私の中の無限の世界
有限で小さな私の外には無限の宇宙があります。
私の存在は無限だと感じることがあります。
私の心の中はいろんな想像ができます。
もちろん現実に起こっていることも認識できますし、現実に起こっていないことでも思い描くことができます。
どんなことでも、意識を向けさえすれば心に映し出すこともできます。
無限の宇宙も創造主も想像することもできます。
心の中は複雑です。いろんなものが内包されています。
心の井戸からいくら水を汲み上げても汲み尽くすことはできず、この井戸は枯れることを知りません。
心は常に動いています。こう思っていたという瞬間の写真を撮ることはできるかもわかりませんが、ひと時として同じ状態にあるわけではありません。
有限の私の中には無限世界が広がっているようです。しかも宇宙と同じく常に収縮を繰り返しつつ膨張しているように感じます。
有言で小さな存在である私の中に無限の世界があます。
なんだか今回のワンセンテンスブログは神秘的な話になってしまいました。