キャリア支援の現場から
キャリアコンサルタントとして仕事をしていると、しばしば次のような相談に出会います。
- 「転職した方がいいように思うのですが、なかなか思い切れなくて…」
- 「自分の本当にやりたいことが見えない。今の仕事のままでいいんじゃないかと思うが、本当にそれでいいのか分からない」
- 「上司からは、管理職への昇進を期待されているんですが、不安ばかり先立って挑戦する気持ちになれない」
実際のキャリアコンサルティングの場面では、相談者の困りごとを受けて、その背景にある職場環境や人間関係、過去の経験、将来への不安など、複雑に絡み合う要因を丁寧に聴き取り、その人にとっての本当の課題や意味を模索していきます。
最終的に「やる気がない」「モチベーションが低い」と問題が整理されることもしばしばです。その後、どのようにモチベーションを高めていくかについて支援していくことになります。
この記事では、そのプロセスの中で役立つ“哲学的なヒント”を紹介してみたいと思います。
その背景には、現象学と呼ばれる哲学的な考え方があります。現象学を創始したのはフッサールという哲学者で、その弟子にあたるのがハイデガーです。
二人のアプローチには違いがありますが、キャリア相談に活かす上で大切なヒントを与えてくれます。
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現象学から見えてくるキャリア支援
フッサール的アプローチ:現状の意味を整理する
まずは、現象学を始めたフッサールの考え方から見ていきましょう。
フッサール(1859–1938)は、人間が「世界をどのように経験しているか」を明らかにしようとしました。彼の方法では、出来事そのものではなく「その出来事がどんな意味を持って感じられているのか」に焦点を当てます。
キャリア面談に置き換えると、昇進や転職といった出来事を、ある人は「チャンス」として、別の人は「重荷」として捉えます。
この“意味づけ”を丁寧に聞き取ることが、フッサール的アプローチです。
このアプローチの目的は、相談者が自分の受け止め方に気づくことです。
「私は転職を“挑戦”ではなく“リスク”とばかり考えていたのか」と気づくことが、未来を考えるための大切な第一歩となります。
さらに、この意味の整理は、近年注目されているジョブクラフティング(仕事を自ら主体的に作り変えていく取り組み)にもつながります。ジョブクラフティングでは、仕事内容や人との関係、仕事の捉え方を自分なりに組み替えていきますが、その前提として「今の仕事を自分はどう受け止めているのか」を理解しておくことが不可欠です。
フッサール的アプローチは、その土台を整える役割を果たすのです。
少し堅い話に聞こえるかもしれませんが、ここでのポイントは「現状をどう意味づけているかに気づくこと」が、キャリア相談における大切なヒントになるということです。
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ハイデガー的アプローチ:未来への開き方を確かめる
続いて、フッサールの弟子であるマルティン・ハイデガー(1889–1976)の考え方です。
彼は人間を「世界-内-存在」と呼びました。これは、人は孤立した存在ではなく、他者や環境との関わりの中で生きているという視点です。
さらに彼は「人間は未来に向かって開かれている存在だ」と考えました。私たちは単に“今”を生きるのではなく、「これからどうなるのか」「どう生きたいのか」という未来への意識によって現在の意味を形づくっているのです。
キャリア面談に置き換えると、
「未来を閉ざされていると感じていますか?」
「もし新しい可能性があるとすれば、それはどんな方向でしょうか?」
といった問いかけをすることが、相談者が自分の未来を見直す手がかりとなります。
これもまた、キャリア相談の実践に役立つ重要なヒントです。
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事例で考える:閉ざされた未来と開かれた未来
ここで、実際のキャリア相談を想像してみましょう。
転職に踏み切れない相談者
「転職した方がいいように思うのですが、なかなか思い切れなくて…。不安ばかりで行動できません。」と語る相談者がいます。
私はまずフッサール的アプローチとして、「転職がどのような意味を持っているのか」を尋ねます。相談者は「挑戦ではなく、失敗するリスクとして感じている」と口にします。
この気づきが、自分の認識を整理する一歩になります。
次にハイデガー的アプローチへ進みます。「転職を考えたとき、未来はどんなふうに見えていますか?」と問いかけると、相談者は「暗いトンネルのように感じる」と答えます。
そこで「そのトンネルの先に、もし かすかな兆し が見えるとすれば、どんな方向だと思いますか?」とさらに問いを重ねると、少し考えて「専門性を生かせる職場なら、可能性を感じられるかもしれない」と未来を捉え直し始めます。
こうした視点の切り替えは、キャリア相談の重要なヒントになります。
やりたいことが見えない相談者
「自分の本当にやりたいことが見えないんです。今の仕事を続けても悪くはない気がするけれど、本当にそれでいいのか分からなくて…。」と悩む相談者もいます。
フッサール的アプローチでは、まず「今の仕事がどのように感じられているのか」を整理します。「安心できる一方で、停滞しているようにも感じる」と言葉にすることで、自分の中に矛盾があることに気づきます。
続けてハイデガー的アプローチを行います。「もし未来が少しでも開けるとしたら、どんな方向が見えてきそうですか?」と尋ねると、相談者は「小さなことでも、人に感謝される場面が多い仕事なら、やりがいを感じられると思う」と答えます。未来が“霧に覆われた閉ざされた場所”から、“探していける道筋”へと変わる瞬間です。
この変化もまた、キャリアを考える上での大切なヒントとなります。
昇進を前に立ちすくむ相談者
「上司からは、管理職への昇進を期待されているんですが、不安ばかり先立って挑戦する気持ちになれないんです。」という声もあります。
フッサール的アプローチでは、「昇進が責任の重圧として映っているのですね」と整理します。相談者は「そうです。失敗したらどうしようとばかり思っています」と応じます。
そこでハイデガー的アプローチへ進みます。「未来がどう閉ざされていると感じていますか?」「もし 新しい可能性 があるとすれば、それはどんな方向でしょうか?」と問いかけると、「部下の成長を支えられたら、昇進も意味があると感じられるかもしれません」と答えます。未来に閉ざされていた扉が、少しずつ開いていくのです。
この気づきも、昇進に前向きになるためのヒントとなります。
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「未来に開かれる」キャリアコンサルティングの流れ
これらの事例から学べるキャリア相談のヒントは、フッサール的アプローチとハイデガー的アプローチを「どちらか一方を選ぶ」のではなく、面談のステップとして組み合わせることです。
面談の最初のステップでは、相談者が「いま、どのように物事を受け止めているのか」を丁寧に確認します。転職を「リスク」として感じているのか、昇進を「重荷」として見ているのか。こうした整理を通じて、自分の見方に気づくことができます。
次のステップでは、未来がどのように感じられているかに焦点を移します。「未来は閉ざされているのか」「それとも新しい可能性を感じられるのか」。相談者と対話しながら、これまで気づけなかった可能性を少しずつ見出していきます。
最後のステップでは、整理された現状と未来の方向性を結びつけます。「では、その未来に近づくために、どんな一歩を踏み出せそうですか」と問いかけ、具体的な行動を一緒に探っていきます。これによって、面談は単なる気づきにとどまらず、行動へとつながる実践的な支援となります。
こうした一連の流れを意識することで、キャリアコンサルティングは「行動を促す面談」から「未来を開く面談」へと変わります。
相談者に届くメッセージはこうしたものになるでしょう。
「未来はときに閉ざされて見えることがあります。けれど、そこに新しい可能性があるはすです。それを一緒に探していきましょう。」
これは単なる「モチベーションを高める」支援ではありません。相談者を“未来を生きる存在”として尊重する、根本的で持続的な支援です。
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【あなたへの問い】
最後に、あなた自身がキャリアを考える上でのヒントとして、いくつか問いを残したいと思います。
- あなたはいま、自分の未来を「開かれている」と感じていますか?
- それとも「閉ざされている」と感じていますか?
- もし小さくても 新しい可能性 があるとすれば、それはどんな方向でしょうか?
未来をどう生きるかは、誰かが決めるものではなく、あなた自身が少しずつ開いていくものなのです。
参考にできる読み物
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前田英樹『ハイデガー入門』講談社現代新書
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木田元『現象学とは何か』講談社学術文庫
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高橋俊介『キャリア論』筑摩選書