なぜ今、この3本柱が重要なのか
ある企業では、営業目標を前年比150%に設定し、達成率は95%に迫りました。しかしその裏で、離職率は前年の2倍に跳ね上がり、チームの空気は重くなっていました。
反対に、働きやすさや人間関係に注力した別の企業では、従業員満足度は上がったものの、新しい挑戦は減り、業績が停滞しました。
成果か、人を大切にするか──。
このジレンマを解くヒントとして、1960年代から**組織開発(OD)の分野で注目されてきた「生産性(Productivity)」「人間性(Humanity)」「社会性(Sociality)」という3つの価値観があります。
戦後の生産性偏重と反省
戦後から1960年代にかけて、日本も米国も大量生産と効率化を推進。短期成果は上がりましたが、従業員の疲弊、モチベーション低下、人間関係の悪化が深刻化しました。
行動科学からの反論
1960年、ダグラス・マグレガーは『企業の人間的側面』で、自律的で成長を求める「Y理論」を提示し、「成果と人の成長は両立する」という新しい経営観を広めました。ウォレン・ベニスやリチャード・ベックハードも「成果だけでなく、人と関係性を同時に育てるべきだ」と主張しています。
経験知からの学び
現場の教訓は明快です。
- 生産性だけを追えば、人と関係が壊れる
- 人間性だけを重視すれば、成果が落ちる
- 関係性だけを重視すれば、組織がぬるま湯化する
3つを偏りなく育てることが、持続的な成長の条件なのです。
3つの価値観の意味と相互作用
生産性(Productivity) ― 組織のエンジン
- 意味:成果・効率・目標達成力
- 重要性:組織の存続と社会的評価の基盤
- 現場の声:「やるべきことは分かっているが、時間と優先順位が曖昧だと成果は出ない」
- マネジメント視点:短期の数字だけでなく、持続的成果を見据えた業務設計が必要
人間性(Humanity) ― チームの心
- 意味:個人の尊重、成長、自律性の確保
- 重要性:モチベーション、定着率、創造性の源泉
- 現場の声:「成長の手応えや挑戦の機会があると、仕事はもっと楽しくなる」
- マネジメント視点:従業員が自ら学び、挑戦できる環境づくりが不可欠
社会性(Sociality) ― 信頼の架け橋
- 意味:信頼関係、協働、心理的安全性、社会的責任
- 重要性:情報共有、協力体制、社会的信用
- 現場の声:「安心して意見を言える環境が、結局は成果にもつながる」
- マネジメント視点:組織内外の信頼と社会的責任を意識することが、ブランドと持続性を支える
実践でどう活かすか
組織開発での点検軸
新制度や施策を検討する際に、この3つを問いかけます。
- 生産性:成果や効率は高まるか?
- 人間性:成長ややりがいを高めるか?
- 社会性:信頼や社会的責任に資するか?
これにより、一面的な施策を防ぎます。
コーチングでの使い方
1on1や面談で偏りを見抜き、残りの視点を補います。
- 生産性を問う:「この行動はどんな結果を生みますか?」
- 人間性を問う:「この取り組みはあなたの成長にどうつながりますか?」
- 社会性を問う:「誰とどのように協力しますか?」
例:ある部下が「売上だけを追う」状態だったら、社会性の質問を投げ、チーム全体での成果や信頼関係に目を向けてもらう──こうした働きかけが行動の幅を広げます。
未来に向けて ― 3本柱と人的資本経営
「生産性・人間性・社会性」の3本柱は、半世紀前の組織開発の現場から生まれましたが、その本質は、いま日本企業が直面している「人的資本経営」の課題と深くつながっています。
人的資本経営が求めるのは、従業員を“コスト”ではなく“価値を生み出す資本”として捉え、その価値を最大限に高める経営です。そのためには、単に人材への投資額を増やすだけでは不十分で、投資の効果を引き出す環境と文化が必要です。ここで機能するのが、この3本柱です。
- 生産性は、人的資本を価値創造に結びつけるための成果の軸。
- 人間性は、個人の潜在力を引き出し、成長を促す土壌。
- 社会性は、信頼関係と心理的安全性を醸成し、知識や経験を循環させる仕組み。
人的資本経営の指標(エンゲージメント、離職率、スキル習得度、心理的安全性など)を改善するには、この3つの要素をバランスよく強化し続けることが不可欠です。いずれかが欠ければ、投資は短期的な成果に終わり、持続的成長にはつながりません。
組織は静的な構造物ではなく、日々の意思決定や関係性の積み重ねで変化する“生きた資本”です。だからこそ、日常のあらゆる場面で3本柱を意識することが、人的資本経営を機能させる鍵になります。
明日からできる一歩
- 新しい施策や会議での決定事項に対し、「この取り組みは3つの柱のどれを強め、どれを弱めるか?」と自問する
- 1on1や日常の対話で、3つの柱それぞれに関する質問を必ず1つは入れる
- 弱まっている柱に、小さな改善策を積み重ねる
人的資本経営の時代において、3本柱は単なる理論ではなく、経営と現場をつなぐ実践の羅針盤です。
あなたの組織は今、どの柱が強く、どの柱が補強を必要としているでしょうか。
次の一歩は、その弱い柱を意識して強めることから始まります。それが、成果も人も信頼も同時に育てる、持続可能な組織への道なのです。
参考文献
ダグラス・マグレガー『企業の人間的側面』白桃書房
ウォレン・ベニス『リーダーシップ論』日本経済新聞出版
リチャード・ベックハード『組織開発入門』生産性出版
アブラハム・マズロー『人間性の心理学』産業能率大学出版部
エドワード・デシ & リチャード・ライアン『人を伸ばす力』新曜社
エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』英治出版