なぜ今、コンセプチュアルスキルなのか
「マネージャーに必要な能力は何か?」
かつては業務知識や部門運営のスキル、あるいは部下指導のスキルが重視されてきました。もちろんこれらは今も大切ですが、ビジネス環境が複雑化し、予測が難しい時代においては、それだけでは十分ではありません。
アメリカの経営学者ロバート・カッツは、管理職に必要な能力を「テクニカルスキル」「ヒューマンスキル」「コンセプチュアルスキル」の3つに分類しました。特に上位の管理職ほどコンセプチュアルスキルの比重が高くなると述べています。
- テクニカルスキル:専門知識や実務的技能
- ヒューマンスキル:人間関係を築き、協働する力
- コンセプチュアルスキル:抽象的・複雑な状況を構造化し、全体像を把握して方向性を描く力
コンセプチュアルスキルとは、個別の出来事やデータから共通するパターンや本質を抽出し、構造化して全体像を描き、将来を見通す力です。これは単なる分析ではなく、現状と未来の両方を視野に入れながら「何が起こっているのか」「何が起ころうとしているのか」を把握する思考力でもあります。
私自身、多くのマネージャー研修やコーチングの現場で、このスキルが不足しているために「目先の対応に追われるだけで、組織の未来を描けない」という悩みを聞いてきました。現状を深く理解しながらも、そこに留まらず未来の構想へと橋を架ける力――これこそが、今のマネージャーに強く求められているのです。
コンセプチュアルスキルの本質と、時代が求める背景
コンセプチュアルスキルは「抽象化」や「俯瞰力」と言い換えることができますが、その本質はもっと広い概念です。
- 現状を事実に基づいて的確に把握する力(部分から全体を捉える)
- 複数の要素を関連づけ、因果関係や構造を見出す力
- 全体像を描き、その中で課題や可能性を見極める力
- 未来像を構築し、そこに向けて戦略を設計する力
こうした力が求められる背景には、以下の環境変化があります。
- 不確実性の増大
技術革新や市場変動が早く、計画を立てても数カ月で前提が変わる。 - 多様な価値観の共存
世代や文化の異なるメンバーが同じ職場で働く中で、価値観の調整が不可欠。 - 組織課題の複雑化
単一要因で解決できない課題が増え、複数の視点を統合する必要がある。
特に人事・組織開発部門では、採用、育成、評価、エンゲージメントなど、要素が複雑に絡み合うテーマを扱います。これらを「今どうなっているか」だけでなく、「今後どうあるべきか」まで見通す力が欠かせません。
このとき重要なのは、「現在起点の思考」と「未来起点の思考」を往復させることです。現状から改善策を考えるだけでなく、理想の姿から逆算して今の行動を決める。この両輪が揃って初めて、組織は持続的に成長できます。
両輪を統合する「マネジメント・スパイラル思考」
私が提案する「マネジメント・スパイラル思考」は、コンセプチュアルスキルを現場で磨くための6ステップの思考プロセスです。
特徴は、現状起点の分析と思考と未来起点の構想と思考を一つのサイクルで統合している点にあります。単なる問題解決のループではなく、実行と学びを積み重ねる中で思考の質を高める“スパイラル”型の成長循環です。
6つのステップ
- 現状の事実収集と俯瞰
- 部門や組織の現状データ(定量・定性)を幅広く集め、全体像を俯瞰します。
- パターンと因果の抽出
- 集めた情報から共通項や因果関係を見出し、課題の本質を明らかにします。
- 未来ビジョンの構築
- 理想の姿を描き、その姿がもたらす価値を具体化します。
- ギャップと課題の特定
- 現状とビジョンの差を明確にし、解消すべき課題を特定します。
- 戦略とアクションの設計
- 課題解決に向けた優先順位と実行計画を立案します。
- 実行と検証
- 計画を試行し、結果をフィードバックとして次のスパイラルに反映します。
- 計画を試行し、結果をフィードバックとして次のスパイラルに反映します。
(例)人事・組織開発部門の事例:エンゲージメント低下への対応
- ステップ1:現状の事実収集と俯瞰
大手製造業の人事部で、従業員エンゲージメント調査のスコアが過去最低を記録。部門別の数値、自由記述のコメント、離職率、面談記録など、多角的にデータを収集。さらに、現場マネージャーへのヒアリングを実施。 - ステップ2:パターンと因果の抽出
データ分析とヒアリングから、「成長機会の不足」と「上司との信頼関係の弱さ」が共通の不満要因であることが判明。昇進や異動の機会が減少し、1on1の実施率も低い部門で特にスコアが低い。 - ステップ3:未来ビジョンの構築
「従業員一人ひとりが成長を実感し、安心して意見を言える職場」をビジョンとして設定。これにより、エンゲージメント向上と離職防止を両立させることを目指す。 - ステップ4:ギャップと課題の特定
現状は形式的な面談と評価に終始し、個々のキャリア開発や心理的安全性の醸成が不十分。このギャップを埋めるには、マネージャーの対話スキル向上と成長支援の仕組みが必要。 - ステップ5:戦略とアクションの設計
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- マネージャー向けに1on1研修とコーチングトレーニングを実施
- 半期ごとにキャリア開発面談を制度化
- 部署横断の社内プロジェクトへの参加機会を創出
- エンゲージメント調査を四半期ごとに実施して進捗確認
- ステップ6:実行と検証
研修と制度改定を同時進行で実施。半年後、1on1実施率が30%から85%に上昇。エンゲージメントスコアも全社平均を上回るまで回復。フィードバックを踏まえ、次のスパイラルで更なる改善を計画。
スパイラルは組織とマネージャーを同時に進化させる
マネジメント・スパイラル思考は、静的な「計画」ではなく、動的な「進化のプロセス」です。現状把握と未来構想を交互に行き来しながら、組織を少しずつ高い次元へと引き上げていきます。
このアプローチを取り入れると、マネージャーは単なる課題解決者ではなく、「未来を創る存在」へと役割が変わります。また、組織も一度の改善で終わらず、変化に応じて進化し続ける体質を身につけます。
最後に、あなたの組織では―
- 現状起点と未来起点の両方の視点がバランスよく活かされていますか?
- スパイラル的に改善と進化を繰り返す仕組みはありますか?
その答えが、これからのマネージャーの成長と組織の未来を決定づけます。
注:本稿で紹介した「カッツの三技能(Three Skills Approach)」は、Robert L. Katz(1955)の論文を参考に再構成・解説しています。内容は筆者の解釈を含みます。