ワンセンテンスブログ №191
高田好胤、薬師寺の元管主、法相宗のお坊さんの言葉です。(1924-1998)
率直に心に響く言葉でした。
今日のワンセンテンス
高田好胤「訓練のない個性は野生に過ぎない」
『好きなこと』だけして生きていく
同時に連想した言葉が「『好きなこと』だけして生きていく」でした。
この言葉は、心屋仁之助さんの本のタイトルです。
なんて耳触りが良い言葉なんでしょう。
でも、心のどこかに違和感があります。「ほんとに?いいの?」
心屋仁之助さんの言っていることはわかります。
違和感の素は、これまで組織を優先し、他人を優先して生きてきたこと。
そのことに慣れているので、自分を大切にする生き方を示す言葉にざわついているということなのです。
心の中のつぶやき
窮屈に生きる必要はない
誰かに命令されて
いやいや、でも生活のために
現実は甘くないと、諦めて、
踏み切れない自分
「やりたければ、やればいいじゃない」、自分の中のどこからか声が聞こえました。
でも、勇気がない自分が嫌になる
「好きなこと」って何だろう?
自分にとって「好きなこと」って何だろうと考え込んでしまいます。
「好きなこと」というとすぐに趣味を連想します。読書やブログ、ジョギングやゴルフなど...。
この連想は、仕事は「嫌なもの」、遊びは「好きなもの」という固定的な考えによるものです。
「仕事が好き」と考えても問題はありません。
「好きなこと」で生計が成り立ち、世の中に貢献できる、ということが私にとっての理想です。
厳しさをともなう「好きなこと」
高田好胤さんの言葉は、「好きなこと」の中に潜む「安易な考え」に流されてしまう恐れがあることに気づかせてくれる。
ただ「好きなこと」では野生と同じで、そこには訓練が必要です。
訓練の中には、趣味であれば「究める」という意味がこもっている。
「究める」の中には「嫌なこと」「自分を抑えること」も含まれます。
「究める」には、寝食を惜しむ苦労も必要でしょうし、嫌いな人に頭を下げなければいけないこと、大きなプレッシャーに耐える場面もあるでしょう。
つらいこと、嫌なことを克服することが含まれています。
「『好きなこと』だけして生きていく」というのは、実は厳しい道なのではないでしょうか。
『好きなこと』を「究めたいこと」「自分の心を率直に傾けられること」に置き換えると、先程までの違和感が溶けていくのが感じられます。
私は、『好きなこと』に「誰かの役に立っていること」を加えたいです。
これならば、よりしっくりきます。
「仕事」は“仕える事”です。
誰かに仕え、役に立つことを自分の「仕事」と呼びたいと考えています。
野生ではない、訓練された自分でありたいです。
心屋仁之助さんの「好きなこと」だけして生きていく(PHP研究所)の本の紹介記事を書いています。
よろしければ、そちらもどうぞお読みくだされば幸いです。
ブログ:心屋仁之助さんの「『好きなこと』」だけして生きていく」を考えました