2019年2月5日№99 ワンセンテンスブログ
常識が何であろうと、世間が何と言おうと、自分が正しく自分がやりたいと思う心の声に従って行動することを拠り所にしたい。
迷った時は心の中の「良心の声」に耳を傾けることを心がけていました。
ところが...。
およそ良心というものは、社会が自らを維持する目的でつくった規則が守られているかどうかを監視するために、個人の内部においている番人である。個人が法律を破らぬよう監視するために、個人の心の中に配置された警官だとも言えよう。自我なる要塞に潜むスパイなのだ。世間の人に支持されたいという人間の欲望はとても強く、世間の非難を恐れる気持ちはとても激しいので、結局、自分の敵を自分の城内に引き入れてしまったのである。
(「月と六ペンス」行方昭夫訳、岩波文庫
イギリスの作家サマセット・モームの「月と六ペンス」の一節です。
「良心」という言葉の解釈は様々だと思いますが、良心を敵とみなすこの一文は少し考えさせられました。
月、六ペンスが意味するもの
「月と六ペンス」は、画家のゴーギャンの一生をモデルとした小説として知られています。絵を描くために家族のもとを去り、安定した生活を捨て、貧しさの中に暮らす。友人の妻を自殺に追いやり、やがてタヒチ島へ渡って、船乗り、農園で働き、最後はハンセン病にかかって無名のうちに亡くなってしまう、そんな画家の一生の物語です。
絵を描くこと囚われ、良心というものに背を向けて狂気の世界へのめり込んでいく生涯です。
そんな世界観からすると良心というものは確かにスパイであり、敵であるかもしれません。
月は夢の象徴、六ペンスは現実を象徴していると言われています。
自分は間違いなく六ペンスの世界に生きています。日常に埋没し、世間を意識した生活を送っています。
月を目指している部分もありますが、内なる番人や警官が怖くて踏み出せない自分がいます。
まだ、良心を敵とみなすところまで意識は高まっていません。
月にまつわる言葉で”lunatic”というものがあります。「狂人、変人」「狂気の、気が狂った」という意味です。
ラテン語で「月に影響を受けた」という意味で、古来より月の光の霊気を浴びると気が狂うとされていたことに因ります。
狼男が例になりますし、漫画のワンピースでもミンク族が月の光を浴びて月の獅子”スーロン”に変身するのも”lunatic”から由来しているのでしょう。
月は夢の象徴であると同時に絵に憑かれた狂気を象徴しています。
気が狂うほど夢に向かって進み、没頭する、そんな人生が送れたらなんて素敵でしょう。
良心に従うのか、良心に抗うのか
良心は心の声。 自分を見失った時に本当の自分に立ち返るために耳を傾けるものが良心だと思っていました。
一方で、自分がやりたいと思っていることに対して、常識や世間体をもとに一歩を踏み出させなくしているのも良心であるということに気づきました。その場合は、良心に抗わなくてはなりません。
どちらが良いのでしょうか?
私は自分のありたい姿に対してまっすぐ忠実に生きることが良心だと思っています。
なんだか難しく考えてしまいましたが、良くも悪くも自分の良心と向き合って行動していきたいと思います。
「一日一文 英知のことば」(木田元編、岩波文庫)の1月25日にとりあげられた一文でした。