三木清の「習慣について」

2018年10月30日からブログで「ワンセンテンスブログ」を始め、ブログの習慣化を試みています。
習慣化について調べていると、三木清「人生論ノート」の中に「習慣について」の章があることを知りました。

ワンテンスブログで引用した「習慣を自由なしに得るものは人生において多くのことをなしえる。習慣は技術的なものであるゆえに自由にすることが出来る。」という部分について、もう少し突っ込んで考えてみることにしました。

三木清について、「人生論ノート」について

三木清(1987~1945)は在野の哲学者。「死」「幸福」「怒り」「孤独」「嫉妬」「希望」など誰でもが一度は立ち止まる概念について思索を続けた人として知られています。

また、彼は岩波書店の編集顧問の仕事をしていた時期があり、日本で初めてあのサイズの文庫本を作成した人で、岩波文庫の巻末の「読書子に寄す- 岩波文庫発刊に際して-」を草稿したことでも知られています。

2017年が生誕120年ということもあり、代表作「人生論ノート」がその年の春にNHK Eテレ「100分de名著」で取り上げられました。

好評だったということで、2018年11月5日から再放送(毎週月曜日午後10:25から11月4回シリーズ)しています。

戦時下の言論統制の中で、当局の検閲にかからないようにあえて難解にしたともいわれています。

非常に難解な文章です。よく理解できませんでしたが、素人ながら読み解きにチャレンジです。

 

「100分de名著」で解説していた岸見一郎氏の本「希望について 続・三木清『人生論ノート』を読む」(著 岸見一郎 白澤社刊)を頼りに読んでみました。

「習慣について」
三木の「習慣」とは?

三木の「習慣」はかなり大きな概念で捉えています。私たちの行動はそもそも自由ですが、自由な行動の中から規則性が生じ、継続するものを「習慣」と捉えています。

「人生において或る意味では習慣がすべてである」と彼は言います。

食事をする、学校へ行く、仕事をするなどの日常生活は習慣という行動によって成り立っているということです。礼儀作法、道徳、個人の趣味、嗜好や癖に至るまで習慣の範疇に入ります。

習慣はどのように形成されるのか?

「自己が自己を模倣するところから習慣がつくられる」と三木は述べています。

つまり、自分の行動に対して能動的に関わり、繰り返し反復する中で形成されます。そこには外部環境に適応せざるをえない必然の力や意志の力が働くことになります。

例えば、朝の挨拶の習慣化の場合、社会儀礼として挨拶をしなければならないという環境に対して適応していくために自分の挨拶行為を毎朝繰り返すことが習慣化されるような場合、朝の挨拶によって気持ちが良かったという体験を繰り返したくて意志による行為の反復が習慣化されるような場合、等が具体的な例になります。

三木は「習慣」の説明の際に「流行」という言葉を使います。「流行」の意味は「流行り(はやり)」という意味ではなく、「新しいことを体験する(学ぶ)」という意味で使っているようです。挨拶の例では、「朝の挨拶によって気持ちが良かった」という体験に出会うことを指しています。

「習慣」を内部的な「模倣」によるものとしており、「流行」は外部の「模倣」だとしています。

新しい習慣へと更新するためには、外部から新しいことを学ぶ必要があることを示唆しています。「習慣は自然的なものであるのに対して、流行は知性的なものであるとさえ考えられるであろう」と三木は書いています。

私たちが習慣により進化していくためには、常に外部から新しいことを取り入れ、自分の内部に習慣化していく必要があるようです。

「習慣によって人生が豊かになる」

習慣を自由になし得るものは人生において多くのことをなし得る。 習慣は技術的なものであるが故に自由にすることができる。もとよりたいていの習慣は無意識的な技術であるが、~(中略) 習慣はわれわれに最も手近なもの、われわれの力のうちにある手段である。

習慣を自在に活用することができれば、人生は豊かなものになることを示唆しています。

自分にとって必要なこと、実現したいことに向けての行動を習慣化することで、無意識的に成長し、到達することが可能になります。

マラソンを完走したければジョギングの習慣から始める、文章が上手くなりたければ毎日の日記から始める、毎日を気持ちよく過ごしたければ朝の挨拶習慣から始める、ということです。

習慣はよりよく生きるための「武器」であり、「力」だということです。

ブログの習慣化によって、いろいろなものに関心を向け、体験して感じたこと、知識やノウハウを情報として発信すれば、多くの人との輪が広がることになります。書くことで気づきや学びが整理蓄積されるということにもつながります。

習慣は「技術」であるとしています。技術であるならば練習により熟達することができます。

「小さな習慣」でも紹介したようにバカバカしいほど小さな目標を立てて取り組むということも習慣化の技術向上の工夫だということになります。

より良く生きるために習慣が大切。習慣は技術であるがゆえに向上させることができる。

ということは、誰でも習慣を工夫し、コントロールすることができれば、「幸福」になれるということが言えるのではないでしょうか。

習慣が技術であるように、すべての技術は習慣的になることによって真に技術であることができる。どのような天才も習慣によるのでなければ、何事も成就しえない

技術は技術として意識している段階ではまだまだほんとうの技術とは言えないようです。

習慣も習慣化を意識しているようでは、ほんとうの習慣とは言えないのかもしれません。意識しなくとも「やっている」という域に入ってはじめて「習慣」と言えるのではないでしょうか。

大リーガーイチローという天才は、基本動作の習慣化が生んだということです。習慣を自在に扱う資質に恵まれていたということかもしれません。

少し長くなりましたので、続きは次回のブログに譲りたいと思います。

なお、「人生論ノート・習慣について」の解釈は、専門家によらない私的なものであることを付記しておきます。

この記事を書いた人

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西口満

「気づきによる学び、自ら成長する」を支援し、ひとりひとりのウェルビーイングの実現と生産性の高い職場のチームづくりを行い、企業や社会の発展に貢献する

ビジネスリーダー育成コーチ、
人事戦略のコンサルティングをしています。

プロフェッショナルとして「人の成長」に関わり続けることをライフワークとし、少しでも誰かの成長のお役に立てれば幸いです。

ブログでは、そんな私が学んだこと、気づいたこと、感じたことを発信し、誰かの、何か、前進のヒントになればと思っています。

これからも情報を発信し続けます。

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