2019年1月6日No.69 ワンセンテンスブログで論語の一節をあげてみました。
人の心を思いやることが最も大切なこと。コミュニケーションのルールやマナーの根底には他者の気持ちに寄り添う心を忘れてはなりません。
論語 卷之二 八佾第三 三之三の言葉です。
子曰, 人而不仁,如禮何?人而不仁,如樂何
「仁」とは、人を慈しみ、思いやりと真心のこと、儒教最高の徳です。
「仁」をおろそかにして、形式である礼節を重んじてもダメ、音楽を上手に奏でることができても意味がないという意味です。(儒教では人を感化する徳の実践として音楽を重視していた)
ちなみに「礼楽」とは「文化」の意味に使われます。
「礼」は人と人とをつなぎ社会を秩序立てているもの、道徳や規範を指しています。
「楽」は音楽を指しており、音楽は人の心を和ませ、秩序だった社会全体に調和をたらすとされています。
秩序が調和によって社会に行き届いている状態が文化的であるとされています。
論語からは外れます。
セミナー講師などを勤めていると受講生に「コミュニケーション」についてお話する機会が多くあります。
これまでを振り返ると、コミュニケーションスキルやノウハウなど「こうすればよい」ということばかり語っていることに気づきます。スキル・ノウハウは形式です。この通りすればうまくいく、誰もが訓練を経てマネができる技術です。
今回の論語のくだり、「形式」よりも大切なことがあるということから、次のことを連想しました。
セミナーで「コミュニケーション」について話す時に受講生に考えてもらうようにします。
・コミュニケーションは双方向であるということ
改めてということになりますが、話し手と聞き手という構図ではなく、「いかに話すか」と同時に「いかに聞くか」が大切であるということについて考える
・「聞く」に意識を向けるということ
むしろ疎かになりやすい聞くことに重点を置くことが大切。相手の感情、立場環境を理解することに注力することについて考える
・コミュニケーションは意思疎通を超えて関係構築であるということ
コミュニケーションの先にあるものは信頼関係の構築、相手に寄り添い、理解することを優先すべきではないかということにいて考える
関係性(組織や社会を含む)の質を上げていくコミュニケーションについて語れるようになりたいと思いました。
「礼」「楽」を修練すれば「仁」に至り、「仁」を修すればよき組織、社会が実現するということなのでしょう。