ファシリテーターとは?「場づくり」の人

№268みずからファシリテーターを標榜していますが、ファシリテーターとはいったい何なのでしょうか。

私は、皆が納得できる合意形成の「場」をつくる人であり、「場」に集う人々の内なる力を信じて任せる人であると考えています。(むしろ、ありたいと考えている)

世間ではいろいろと解釈があるようですが、私はそのように考えています。

ファシリテーターは司会者?

ある本の中でファシリテーションとは「会議を進行すること」を意味すると書いてありました。
ファシリテーターは「会議をリードする役」のこととも書いてありました。

会議をリードするということで混同してしまうのは会議の司会です。
司会者は決められた手順に従って会議を進行する人ですが、ファシリテーターは、会議の手順を設計して、ファシリテーション技法を使って会議をゴールに導く人ということになります。

Facilitateの意味は「ことを容易にする」「促進する」ということです。
とすればFasilitatorは出席者どうしの議論・対話を促進して会議のゴール到達を容易にする人、ということなのでしょう。

ファシリテーターは出席者から意見を引き出し、葛藤を受け止め、時には情報提供をしながら、論点を整理して、出席者どうしが合意できるように出席者に働きかけます。

ファシリテーターは司会者とは全く違うものです。

ファシリテーターはリーダー?

ファシリテーションの本の中で「ファシリテーターは中立的な立場を保つべき」ということが書かれていることがあります。

ファシリテーションを学びはじめの頃は「中立的な立場」にこだわってファシリテーションをしていた時期がありました。
会社員であった私は会議のファシリテーターを務めている時に、「お前の意見はどうなんだ」とよく上司から詰められることがありました。
また部下や後輩達からも「決めてください」と判断を求められる場面もあり、組織の中でのファシリテーションは理想通りいかないと思っていました。

雇われのプロファシリテーターでない限り、組織の中にいれば当事者として関わらざるを得ません。

何らかの意見を持ち、意識せずとも自分の考え近くに結論を誘導したりすることもあるでしょう。
ファシリテーターは一定の「落としどころ」を想定し結論へと導くリーダー的な役割を担う場面もあるでしょう。

しかし、そのような場面は、議論に偏りが生じたり、視野が狭くなって漏れ抜けができたり、組織力学が強く働いたりするリスクが高くなってしまいます。

ファシリテーターのリーダーシップは結論に向けて人を導くということではありません。

私は、ファシリテーターのリーダーシップは自由闊達な議論の場づくりを行うことであると考えています。

ファシリテーターとは「場をつくる人」

私は、ファシリテーターは「場をつくる人」でありたいと考えています。

ファシリテーターが作り出す「場」は参画するメンバーひとりひとりにとって心地よい場、率直に考えを言える場であって欲しいと願っています。

メンバーが相互に刺激し合う創発の場をつくりだしたいとも考えています。

心地よく、率直な意見が言える場であれば、新しいアイデアも生まれやすいですし、相乗効果も生まれます。
勢いが出て、アイデアの実現に向けた行動にもすぅ~と入っていくことができます。

心地よい場、というのは癒される安らぎの場という意味ではありません。
自分の意見を言った時に誰からも非難されることなく、否定されることなく、受け入れられるということです。

「安心安全な場」と言われることがありますが、この場の考えの中にはチャレンジが伴っている必要があります。
チャレンジなく安心安全な場というのは、その場にいる意味がありません。
チャレンジしてうまくいかなくても失敗が許される、リトライができる、そんな場を「安心安全な場」と呼びたいと思います。

「場」に対して積極的に貢献することが参加メンバーに求められます。

場への貢献を促すこともファシリテーターの仕事だと思っています。

ファシリテーターは手放す人

ファシリテーターとして気を付けていることがあります。それは「手放す」ということです。

ファシリテーターとして場に関わっていても、自分の価値観の眼鏡を通して考えますので、どうしても好き嫌いや偏見があります。
私の個性を形作っているものでしかたのないことではあります。

そこで、まず自分には偏見があるということをいつも意識しておきたいと思っています。

ファシリテーターをしていると私ならこうするのに、こうあるべきなのに、教えたい、伝えたいという欲求に苛まれます。
あるいは、予定のストーリーで進めたい、ここへ落としたい、という誘導したいという衝動に駆られます。

私は、いつもこれら欲求、衝動を手放そうと努力をしています。

ファシリテーターの考えが、正しいとは限りません。

また、考えが正しくとも議論のプロセスを省く結果となってメンバーの腹落ちのない結果になる可能性もあります。腹落ちのない状態では、その後に障りが出るかもしれません。

自分の意見を言う時には、「私は」を強調して「私には〇〇のように見える、聞こえる」というように第3者目線で伝えるようにしています。
「情報提供の意味で一言いいですか」と前置きすることもしばしばです。

ファシリテーターが自らの欲求を手放すということは、メンバーの力を信じて任せることでもあります。

ある問題解決のための会議に出席した時のことです。
会社の方針がはっきりしない、上司がきちんとマネジメントすべき、他部門の協力がない、あいつが悪いなど、愚痴をぶちまける流れになり収拾がつかない状態でした。
散々に不満を吐き出した後、ファシリテーターが「それで、みなさんはどうしたいですか」と場にきっかけを与えた瞬間、「不満を言っても仕方ないよね、今できることは...」と議論が進む展開に変化しました。

ファシリテーターはきっかけを与えただけです。メンバーの内なる力が事態を収拾する方向へ流れ始めました。

メンバーの内なる力を信じて任せ、内なる力が整い、充実するを見定めて、発露させる。
私はそんなファシリテーターでありたいと願っています。

この記事を書いた人

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西口満

「気づきによる学び、自ら成長する」を支援し、ひとりひとりのウェルビーイングの実現と生産性の高い職場のチームづくりを行い、企業や社会の発展に貢献する

ビジネスリーダー育成コーチ、
人事戦略のコンサルティングをしています。

プロフェッショナルとして「人の成長」に関わり続けることをライフワークとし、少しでも誰かの成長のお役に立てれば幸いです。

ブログでは、そんな私が学んだこと、気づいたこと、感じたことを発信し、誰かの、何か、前進のヒントになればと思っています。

これからも情報を発信し続けます。

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