2019年3月19日№142ワンセンテンスブログ
今回のブログは「自由からの逃走」、マズロー同様に自己実現論で有名なエーリッヒ・フロム(1900 – 1980)の言葉を取り上げました。
エーリッヒ・フロムの言葉
19世紀においては神が死んだことが問題だったが、20世紀では人間が死んだことが問題なのだ。19世紀において、非人間性とは残忍という意味だったが、20世紀では、非人間性は精神分裂病的な自己疎外を意味する。人間が奴隷になることが、過去の危険だった。未来の危険は、人間がロボットとなるかもしれないことである。確かにロボットは反逆しない。しかし人間の本性を与えられていると、ロボットは生きられず、正気でいられない。(『正気の社会』加藤正明・佐瀬隆夫訳(『世界の名著』続14、中央公論社)
神は死んだ
「神は死んだ」という言葉は、ニーチェ(1844-1900、ドイツの哲学者)がその著作「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で語った言葉です。
ニーチェは、当時の支配的な価値観であるキリスト教を中心とする価値観を否定し、ニヒリズム(虚無主義)を唱えた哲学者として知れています。
ニヒリズム(虚無主義)というのは、やる気がなくてぼーっとしていることではありません。
信念を自分の外に求めず、自身の内にある人間的なもの「生」を大切にし、エネルギッシュに生き抜くことを主張しています。
いわば、「人間の復活宣言」でした。
エーリッヒ・フロムは、まず、ニーチェの言葉を引用しました。
19世紀当時はキリスト教が価値観にあった時代。この言葉は、メガトン級のインパクトを持って世に波及し、様々な問題を生んだと同時に、近世から近現代へ、以降の思想に大きく影響を与えました。
人間は死んだ
20世紀では「人間が死んだ」ことが問題になりました。
チャップリンの映画「モダンタイムス」では人間が生産のための機械となる様子が描かれました。
また、政治家やマスコミからコントロールされる「大衆」となって個性が失われてしまうという警鐘がならされていた時代でもあります。
日本においても高度成長期が訪れ、いい会社に入ってしまえば、エスカレーター式に良い生活が得られるといった自動的に生活が向上するシステムがありました。
人間は、システムの一部として生きていれば幸せという風潮になりました。
エスカレーターに乗ればいいという世の中は、人間から考えることを取り上げ、向上しようという意欲を奪ってしまいます。
20世紀は、まさに「人間が死んだ」という状況を危惧する時代でした。
最後に、21世紀は人間が復活する時代
21世紀に入り、IT革命と言われ、AIや本物のロボットの活用が始まりました。
人間がロボットにならなくても、本物のロボットが人間に変わって仕事をしてくれる時代が訪れようとしています。
私たちは、ネットの技術によってマスメディアの拘束から解放され、情報の取捨選択が可能になりました。
また、ブログなどを使って個人の意見を自由に発信することもできるようになっています。
エーリッヒ・フロムは人間の成長、自己実現の中に人間の幸福があるという考え方の持ち主でした。成長や自己実現を人間の本性として捉えていた思想家です。
フロムの言葉「人間の本性を与えられていると、ロボットは生きられず、正気でいられない。」
ロボットに成り下がろうとしていた人間が人間としての正気を取り戻し、IT技術やネットを使って、人間としての成長、自己実現を再び追求することができる時代になってきています。
フロムはこのことを予知していたのでしょうか。
個性を発揮(発信)する時代になりました。自己実現、自己成長で幸福を追求する時代です。
ひょっとするとブロガーは人間性復活の最先端にいる人なのかもしれません。