2019年3月2日No.124ワンセンテンスブログです。
「一日一文 英智の言葉」(木田元編、岩波文庫別冊)の3月2日に取り上げられていたのは、D.H.ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」の一文でした。
読んだことはありませんが、切取られた一文から何を感じ取れるか考えてみました。
翌日彼女は森へ出かけた。曇った、静かな午後で、暗緑色の山藍が榛(はしばみ)の矮林の下に拡がっていた。すべての樹木は音も立てずに芽を開こうとつとめていた。巨大な槲(かしわ)の木の樹液の、ものすごい昴(たか)まり。上へ上へと騰(あ)がって芽の先まで届き、そこで血のような赤銅色の、小さな焔(ほのお)かとも思われる若葉となって開こうとする力を、彼女は今日は自分の体の中に感じた。それは上へ上へと膨れ上がり、空に広がる潮のようなものだった。(「完訳 チャタレイ夫人の恋人」D.H.ロレンス、伊藤整・伊東礼 訳、新潮文庫)
ロレンス(1885 – 1930)はイギリスの詩人・小説家。恋愛と性を取り上げ、そこから人間性の回復を構想したことで知られています。
「彼女」が体の中に感じているものは「生命力」ではないかと思います。
槲(柏・かしわ)の木になぞらえて「彼女」の中にある命を「芽」「焔とも思われる若葉」「空に広がる潮」と表現しています。
ロレンスのテーマが恋愛と性による人間性の回復ということなので、おそらく「彼女」は恋をしているということなのでしょう。
恋は生命の源泉です。
長く、生命力を身体の芯から感じるような恋をしていないように思います。いや、恋をしていない訳ではなく、仕事やら生活やら、恋以外のことにも意識を分けているということだと思います。
もう、恋だけに集中することができなくなっているのかもしれません。