2019年2月19日№113 今回のワンセンテンスブログはアルフレッド・アドラーの言葉を取り上げました。
劣等感は一般にネガティブな文脈で語られることが多いのではないでしょうか。暗い、じめじめとした印象です。
アドラーは「劣っている」という感情をそれぞれ個人の個性と考えて肯定的に取り扱っています。
人は「劣っている」という感情があるために、成功に向けて努力することができる
(『生きるために大切なこと』)
『生きるためにたいせつなこと』 A・アドラー、方丈社
人間は社会の中で生きており、個人それぞれと共に存在しています。 それぞれが個性を持っており、ある能力では劣っているケースもあれば、優れているケースもあります。至極当然のことです。
アドラーは、正しく機能している社会では、個人の能力の足りない部分をお互いに補っているとしています。
能力不足や弱点は、正しく機能する社会で生きているのなら、その不足を十分に補うことができる。人間はそのために他人と協力をしたり協調したりして、生きているということです。
しかし一方で、「劣っている」という感情は 、自分を向上させたり、他人と協力するという目的を見つけられずにいると「劣等コンプレックス」に陥ってしまうことになります。
「劣等コンプレックス」は他人から比較されるの嫌い「逃げたい」という欲求に繋がったり、他人との協調を避けて引きこもったりすることを指します。まさにネガティブな感情です。
また逆に「優越コンプレックス」と言って、劣っていることの裏返しで必要以上に自分を大きく見せる「虚栄心」に発展してしまうと、これもまた他人との正常な関係を築けなくなってしまいます。
これらは人間心理の当然の働きだということです。
アドラーは誰もが持っている劣等感を正しく活用し、健全で有益な社会性を身につけ社会に適応できるようにしなければならないと説いています。
私も劣等感の塊です。劣等コンプレックス、優越コンプレックスに囚われているひとりです。しかし、これを少しでも肯定的に捉え、正しく使えるようになれればと思います。
人材育成の仕事でコミュニケーションを取り扱っています。
人材育成の場面でも、このことをしっかり伝えていきたいと思います。