2019年2月18日№112 今日のワンセンテンスブログは、ローマのストア派の哲人、セネカの言葉がきっかけです。
長寿・短命ということとは別に、命の長さについて少し考えてみました。
われわれの享ける生が短いのではなく 、我々自身が生を短くするのであり、我々は生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽する、それが真相なのだ。莫大な王家の財といえども、悪しき主人の手に渡れば、たちまち雲散霧消してしまい、どれほど約しい財といえども、善き管財人の手に託されれば、使い方次第で増えるように、われわれの生も、それを整然と整える者には大きく広がるものなのである。(『生の短さについて』)
『生の短さについて 他二編』 大西英文訳、岩波文庫
セネカ(紀元前1 – 紀元後65)はローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師であり、皇帝在位の間も政治家として活躍した。最後は、ネロの不興を買って自裁を命じられました。
セネカは生を「財」と表現していることから、貴重なものと捉えていたようです。
また、「使い方次第で増える」とする一方で、下手に使えば「たちまち雲散霧消する」としています。
年数的に長寿であったとしても無駄遣いすればあっという間にに消え去ります。
たとえ年数的には短命であっても整えて意義ある使い方をすれば大きく広がると語っています。
紀元前のローマ時代にこんなことを考えていたことは驚きですが、大昔も今も人間の考えることは同じなのかもしれません。
果たしてこれまでの命の使い方は良かったのでしょうか。
もし100歳まで生きるとしてもすでに半分の折り返しを過ぎています。
残りは思ったよりもあと僅かなのかもしれません。
限られた命、納得した使い方をしたいものです。
私たちの一生は長いのか短いのか、それはその人の命の使い方による、改めて味わいたい言葉だと思いました。
「一日一文 英知の言葉」木田元編 岩波文庫別冊24の2月18日分の掲載より