2019年2月16日№110ワンセンテンスブログ
いまどき、世の無常を感じて旅に出るということがあるのでしょうか。
「無常」という言葉もあまり聞かなくなったように思います。
風になびく富士のけぶりの空に消えて行方も知らぬ我思哉(わがおもいかな)
(西行)
『西行全歌集』久保田淳・吉野朋美校注、岩波文庫
風に靡く富士山の噴煙が空に消えていく、自分の思いもどこへ行こうとしているのか分からないことだ。
当時は富士山は噴火していたそうです。
平安時代末期から鎌倉時代の歌僧、西行法師(1118 – 1190)。
平将門の乱を平定した藤原秀郷の子孫の武家の家に生まれ、北面の武士として宮中警護の任にあたっていましたが、23歳の時、突然妻子を捨て、出家し諸国漂白の旅へ出てしまいました。
なぜ西行は突然出家をしたのか?
親友を亡くした説、失恋した説、理由は定かではありません。
ずっと変わらずに続くものと思っていたことがそうではなかったと気づいた時、
この世には不変なものなどないと気づいた時、
そのような(無常の)世であれば捨ててしまおう、と考えたのでしょう。
現代でも、失恋の時、大切な人を亡くした時など、感傷旅行というものがあります。人生に行き詰って逃げ出したくなる時、ふっと旅行に出たくなることがあります。
「無常」という言葉そのものは意識していないかもしれませんが、平安の昔も今も同じです。
これまでずっと走り続けてきました。今後も走り続けるでしょう。
しかし、どこかで終わりが来ることに思い至った時には、人生の虚しさのようなものが心に宿ります。
“虚しさ“を感じた後には、その”虚しさ“に沈んでしまえばそれまでです。
しかし、逆に”虚しさ“の隙間を埋めようと新たな力が湧いてくることがあります。
時には“虚しさ“を感じることにも意味があるのではないでしょうか。
放電の後の充電、そんな旅をしてみたいと思いました。