2018年9月17日、第6回天籟能の会、国立能楽堂へ行きました。
能「小鍛冶」は、刀匠三条宗近の物語。
小鍛冶は刀鍛冶のことを指しています。
勅命を受けた三条宗近が稲荷明神である霊狐の力を借りて、名剣「小狐丸」を打ち上げるという曲です。
観世流能楽師の加藤愼悟師による公演です。
ストーリー(解説より)
夢のお告げを受けた一条天皇は、刀匠、三条小鍛冶宗近に剣を打つように命じます。
しかし、宗近は自分と同等の相槌を打つ者がいないために打てないと一度は断わりますが、天皇の命令ということもあり、何とかしようと、稲荷明神へ参詣します。
そこで不思議な老人(前シテ)と出会います。
老人は自分が相槌を勤めることを約束し、稲荷山へ消えていきます。
宗近が鍛冶壇に上がって礼拝をしていると、稲荷明神のご神体(後シテ)が狐の精霊の姿で現れ、相槌となって共に剣を鍛え上げられます。
剣「小狐丸」は無事に完成し、一条天皇へ献上されるのでした。
「小鍛冶 白頭」の解説?チャレンジ!
謡(能における詩歌や文章)や仕舞(能の一部を面・装束をつけず、紋服・袴のまま素で舞うこと)を習い始めて1年ほど経ちました。
能公演もこれまで7~8回しか見ておらず、まだまだ「能」について語るなんてできませんし、感想すら書くことも難しいです。
それでも、何かを感じ取ろうと必死で見聞きしたことを書いてみることにします。
「小鍛冶」は前述したようにストーリーがイメージしやすく、舞や謡に緩急があり、刀や槌の小道具、鍛冶壇の舞台セットもあり、見ていて面白く、変化に富んだ曲でした。
能では主人公として能面を被って演じる役者を「シテ」と呼び、わき役を「ワキ」と呼びます。
構成は前後半に分かれており、「小鍛冶」では、前場(まえば)のシテは老人(前シテ)、後場(のちば)のシテは稲荷明神となって変化して現れます。
なお、刀匠宗近はワキになります。
今回、老人(前シテ)と稲荷明神(後シテ)との動きが対比され、工夫されているように感じられました。
老人(前シテ)の演技はゆっくりとした動きから神としての静かさや尊さが感じとれました。
特に、前場の登場場面では、橋掛かり(幕を出てから本舞台へ続く廊下)をゆっくりとなかなか進んでこないことが、神と人間との隔たりを感じさせるような演出でした。
一方の稲荷明神(後シテ)の演技には力強さがあり、一気に剣を仕上げてしまう動きの中に、アッと言う間の出来事としての不可思議な「神事」が演出されているように感じられました。
同じ登場場面でも、後場の稲荷明神は橋掛かりから一気に本舞台へ進みでて、迫力を感じさせます。
そして、刀を打ち終えるとサッと揚幕の中へ消えていきます。
通常の「小鍛冶」では、前シテは童子として演出され、この世ならざる「怪し」のものとして表現されるとのことですが、今回は「小鍛冶 白頭」ということで、前シテはあえて老人(白頭)として演出されていました。
前場で落ち着いた老人の姿で現れることで、後場で現れる崇高な稲荷神へと続く演出が強調されているように感じました。
後シテの稲荷明神はパンフレット表紙にあるような赤頭や狐の冠は使わず、能面も通常使われるはずの「小飛出(狐様の能面)」を使っていません。
霊験あらたかな白狐を思わせる白頭で能面も「大飛出(雷や権現様の能面)」を使っており、
動物的な演出から崇高な稲荷神としての演出への工夫がされていて、とても興味を持って観ることができました。
耳慣れない言葉をあまり説明なしで使用しているので難しく感じられたことでしょう。
能楽について学んだこと、見聞きしたことをわかりやすく書くことで、これからも勉強を続けていきます。
ちなみに、「相槌」というのは、コミュニケーションで使う動作ですが、語源が鍛冶職に向かい合って大槌を振るう助手のことを指しているとは知りませんでした。
今度、研修の場の豆知識として使おうかな。