2018年10月6日、東京都美術館で開催の藤田嗣治展へ行きました。
東京での会期は終わってしまいましたが、引き続き京都で開催されます。
是非、機会があれば足を運んでみてください。
(東京開催)東京都美術館 2018年7月31日(火)~10月8日(月・祝)
(京都開催)京都国立近代美術館 2018年10月19日(金)~12月16日(日)
「藤田の乳白色」独自の画風で世界を魅了した画家、陸軍作戦記録画家でも知られ、戦後は日本を捨ててフランス国籍を取得してパリでその生涯を終えた画家、没後50年の記念展で彼の人生を追体験することができました。
「乳白色の下地」藤田嗣治展のHPのトップ画面から「みところ」他のページをご覧ください。マウスでポインターを動かすと「乳白色」が体験できるようになっています。
藤田嗣治。1886東京生まれ、父は陸軍軍医総監(中将相当)、一家は陸軍関係者が多いようです。
1910年東京美術大学を卒業後、かねて希望していたパリへ、大回顧展は1913年のパリでの絵からスタートします。
1910年代、パリにて
「パリの風景」という絵はおもしろい。
パリの下町の風景、モノトーン、寂しい印象、湾曲した道、乳母車を押した女性がトボトボと歩く様がパリの人通りのない道を表現しています。
調べるとパリのモンパルナスの南、郊外で市街との境界の盛り土でつくられた門、ヴァンヴ門というところだそうです。
「こんなパリがあるんだ」華やかな街をイメージしていましたが、ここに描かれるパリは趣きが違います。日本から単身で憧れのパリへやってきて、現実の生活を始める藤田嗣治はどんな心境だったのでしょうか、彼のパリでの原風景となる一枚なのでしょう。
まだこのころは藤田嗣治としての絵は確立しておらず、キュビズムの影響を受けた絵、ひょろひょろと縦に引き伸ばした人物画、灰色モノトーンに上品な赤青の色彩が映える静物画、自分の絵をいろいろと試しているのではないかと想像しました。
1920年代の絵、乳白色の藤田
「5人の裸婦」
「五人の裸婦 1923 東京国立近代美術館」(図録より)乳白色の下地に細い滑らかな輪郭線で描くという絵画スタイルにたどり着きました。
その繊細な下地の白さや質感を最も生かす画題として裸婦を選んだようです。
筆使いそのものには勢いは感じられませんが、細い線が絵の中の裸婦を形作っています。
乳白色を基調にその中で色彩がほのかに匂ってきます。
「乳白色」と言われていますが、なんと表現したらいいのでしょうか?肌色、ピンク、どれも当てはまりません。
白に何かが混ざって、視覚を使って見ているのに、手で触っているような感覚ってなんだろう、質感というのか、うまく表現できません。
「舞踏会の前」
6人のご婦人が着替えの最中のようです。
舞踏会の仮面が足下に散らかっています。
真ん中に立っている婦人の目が異様に黒く描かれているように感じました。
彼の裸婦の絵の中で、一番濃い色が使われているのは目で、黒い点が一番力強く描かれています。
「五人の裸婦」と同様、全体が「乳白色」でとろけています。
そんな中、ドレスの赤い色も際立って美しく感じられました。
自画像(その1)
おかっぱ頭にちょび髭、坊ちゃん風にちょこんと座っている感じ、でもまっすぐこちらを向いていて、目線を外さない、謙虚?に自己主張をしています。当時にはちょっとない風貌だったのではないでしょうか?
猫は顎を突き出して、ちょっと偉そうにしています。
1930年代、日本に戻って、.国内外を旅します
自画像(その2)
一部ベタ塗りの部分、遠近を無視した構図など浮世絵を思わせる絵も描いています。
ちゃぶ台の上の魚の食べさしの精緻さはおもしろく、日本での実生活を感じさせられます。
1939年パリへ 第2次世界大戦勃発
争闘(猫)、猫の絵も有名です。
猫の絵も有名、14匹の猫が飛び上がり、重なり合い、裏返り、爪を立て、襲いかかる、カンバスいっぱいに描かれている。ギャァオー、グェェー、喉からの音が聞こえてきそうです。
ドイツ軍がパリ侵攻で迫り来る中、描いたらしいといわれています。
帰国、陸軍作戦画家へ
1940年から帰国し、作戦記録画の制作のため、おかっぱから丸刈りに変えて戦地へ赴きました。
2枚とも大きな絵。一面茶褐色。アッツでは陸軍兵士の様、サイパンでは非戦闘員の自決の様が描かれている。
陸軍作戦記録画家ということでどんな勇ましい絵が描かれているのかと思ったら悲惨な戦争の場面をそのまま悲惨に暗く描いてあったのは驚きで、まさに人が折り重なって死んでいく様が描かれていました。
西洋美術史上の戦争をテーマとした絵画の研究をしていたというのが実態のようです。
戦後の20年、戦中の国策協力を糾弾され、年日本を離れて再びパリへ
「私の夢 1947 新潟県立近代美術館」
漆黒の背景に横たわる裸婦、周囲に犬猫兎猿などの動物が描かれる。まるで釈迦涅槃図のようです。
戦争協力で糾弾される中、彼は何を願っていたのでしょうか?
1949年にようやく国外へニューヨークからパリへ
1949年に描かれたのがパンフレットの表紙になっている「カフェ」という絵。
ようやく彼らしい絵が戻ってきました。
黒い瞳、黒いドレス、手元の便箋に滲むインクの染み、後ろの男性の帽子、乳白色の下地に引き立つ黒が美しい。
落ち着いた場所に帰ってきた藤田の心境が想像できる絵。
回顧展として時代順に藤田の絵を追ってきましたが、私自身も心落ち着くものをこの絵から感じることができました。
1950年にフランス国籍を取得。日本国籍は破棄。
藤田の「乳白色」を下地に繊細な黒、茶の線、その中でところどころ生きる赤や青の色彩、精緻な筆使いで表現される世界はやはりレトロな懐かしさがある。
ひょっとしたら、彼の懐古の思いが表現されているのかもしれないと思った。
1959年、カトリックの洗礼を受けます。
洗礼名はレオナール、ダビンチにちなんでのもの、敬愛していたようです、
そう言われれば、彼の筆使いはダビンチのデッサンを思わせるもの、特にフランスでの晩年は精緻なものが多いように感じられました。
最後はキリスト教の宗教画を多く描き、商用というよりは自宅で飾っていたとのことです。
藤田嗣治展の感想でした。