2018年9月17日、天籟能の会、能と刀剣についてのアフタートークの第2弾です。
話し手は、内田樹氏(武道家)、川﨑晶平氏(刀匠)、安田登氏(下掛宝生流能楽師)、いとうせいこう氏(小説家、ラッパー)です。
鍛冶場の守り神は金屋子神(かなやこしん)、「火」をつかさどる神さまです。
鍛冶場ではふいごで「火」を起こし、刀を鍛えます。
稲荷明神と火
夏の風物詩「花火」、お盆の時期に祖先の慰霊を目的として打ち上げられますが、そもそも「火」は魔を払うと言われ、両国の花火大会は江戸時代の厄災祓いが発祥です。
花火大会の「かぎや~(鍵屋)」「たまや~(玉屋)」の掛け声は、花火師の屋号であることはよく知られていますが、何故その屋号なのかはあまり知られていないのではないでしょうか。
花火師は稲荷社の氏子でした。「鍵屋」「玉屋」は稲荷社の狐が咥えている「鍵」と「玉」を屋号にしたと伝えられています。
鍛冶屋も多くが稲荷社を信仰しており、全国に鍛冶稲荷神社の名前でお祀りされているものです。(鍛冶稲荷神社の大祭は「ふいご祭」と言います)
稲荷社が「火」との関係は、平安時代の刀匠三条宗近と稲荷明神による刀剣「小狐丸」の製作の言い伝えがもとになっているようです。
「小鍛冶」はこの伝承を能にしたものです。
「小鍛冶」は作者不詳ですが、室町時代につくられた能で、戦火、厄災に見舞われた時代にあって、「祓い」による平和への願いが込められていたと思われます。
話は脱線。子供の名前(童名)に、「虎」「熊」などの動物の名前をつけていたのも「祓い」の考えがあったそうです。
「勇ましくなって欲しい」という理由ではなく、「獣には悪い霊は寄ってこない」という考えで、かわいい女の子にも付けていました。
この世とこの世ならざるものの間
能「小鍛冶」の前場で稲荷明神の化身は今回老人でしたが、通常は童子が登場します。
「童子」は子供のこと、古来はこの世とこの世ならざるものとの中間のものとされていました。例えば有名な大江山の鬼は「酒呑童子」と呼ばれています。
刀匠三条宗近と稲荷明神によって完成された刀は「小狐丸」といい、人間と神の間のものということになります。
ちなみに、刀に「~丸」と名前を付けることが多いですが、「~丸」も子供につけられる名前であることから、「子狐丸」も童子的なものであると言えそうです。
人間と神さまとの距離は遠く、容易にはコミュニケーションは成立しません。
刀は師匠の鎚と合間に入れる弟子の鎚(相槌)により刀を鍛えることから、「相槌」はコミュニケーション用語として用いられるようになりました。
しかし、刀匠の川﨑さんの話では、師匠と弟子は言葉を交わさないそうです。
弟子は師匠の所作を見て、感じて、師匠と呼吸を合わせることで技を覚えます。
刀剣についてのあれこれ
刀剣の見方ついて
1.立てて持ち、全体の姿を見て楽しむ。
「小鍛冶」の平安時代は細身で反りがあって優雅、鎌倉中期・室町になると身幅も厚くなり豪壮なものに変わっていくそうです。
2.光をあてて地金(じがね・刀剣の肌身の部分)を鑑賞します。
鉄の鍛錬法、流派によって違いがあるので、慣れてくると産地が分かるそうです。
3.刃文(刃にあたる白い部分)から刀工によりそれぞれ特徴ある文様の美しさを鑑賞します。
太刀と刀の違い
博物館や美術館では、刃の部分を下にした場合と上にした場合と刀剣によって展示を変えています。
下にして飾っているのは「太刀」、上にしているのは「刀(打刀)」です。
平安・鎌倉時代から室町時代前期にかけては「太刀」と呼ばれ、馬上での使用を想定して腰に吊るして、素早く安全に抜けるようにしています。
室町時代後期から江戸時代は「打刀」と呼ばれ、徒歩で使用し、帯に刺して身に着け、抜く時に刃が自分に向かないように工夫されています。
「太刀を佩く(はく)」「打刀を刺す」という言い方は身に着け方の違いによるものです。
刀工の銘は、身に着けた時の表(外側)に通常彫られていることから、銘を観る側に向けて展示することになるので、向きの違いとなっているそうです。
刀は右腰に身に着けることから、銘を正面にして柄を向かって左にして展示されていることに納得しました。
その他、草薙の剣の神話が銅器から鉄器への転換点であったとか、興味深い話がたくさんありましたが、記憶を辿っての記録でした。