「卒意」の意味、意を尽くした後の無碍の境地?

№222雑誌に書道についての記事がありました。そこに「卒意」という言葉がでており、「作意」と対比の言葉として説明がありました。

全く聞いたことがない言葉でしたので、少し調べてみることにしました。

書道や茶道の中で語られる言葉のようですが、いまいちよく分かりませんでした。ネットの記事など、あれこれ読んでいると自分なりの解釈が芽生えてきました。

それは、意を尽くした後の無碍の境地こだわりのない自然体の心得を指しているのではないかということです。

書道で使われる「卒意」言葉

「卒意」とは辞書で引くと一般的に「心のままであること」という意味がでてきます。

書道では「卒意の書」というものがあります。手紙や草稿など書としての制作の意図なく、心のままに自由に書いた書のことを言います。

その意味での「卒意」は、「作意」との比較で説明される言葉になります。

茶道で使われる言葉「卒意」

茶道では主(あるじ、亭主)が客を招き、おもてなしするために事前に準備をします。

部屋を掃き清め、茶碗を選び、菓子を選び、時には軸や茶花を飾ります。加減に気を配りながら湯を沸かし、客を最高の状態で迎え入れるよう「場」の設え(しつらえ)をします。

この事前の準備のことを「用意」といい、客に対して「意を用いる」と書きます。

一方で招かれた客は主の心遣いを感謝し、おもてなしを楽しみます。この招かれる側の心構えのことを「卒意」と呼ぶようです。

しかし、茶道では単純に客の心構えを指すだけではなさそうです。主が客を迎えた後、客の状態に合わせて臨機応変の心配りをすることも「卒意」の意味には含まれています。

主と客とがともに「場」を共有し、「場」を一緒に創り上げていく心の在り様を指して「卒意」と呼ぶようです。

茶道では、「用意」と「卒意」を対にして語られています。

落語家の「卒意」

落語家にも「卒意」が必要なようです。

落語家は、あらかじめどの演目をするかを決めて臨むようですが、高座に上がった時の客層を見て咄嗟に判断し、即興的に客に合った演目を選ぶということがあります。

その時の心のあり様を「卒意」というようです。

落語家は、多くの演目を記憶し、練習を重ね、芸を磨かなければなりません。そしてここにも準備を尽くした後の、客との息間合いの心得が語られているようです。

能楽でもシテ方(主人公)は舞台に上がる前に客席に目をやって、客層を見、雰囲気を読んで演技に工夫をすると聞いたことがあります。これも「卒意」というのでしょうか。

「卒意」の意味(勝手な解釈)

そもそも「卒」は卒業の「卒」、「終わる」という意味です。

つまり、事に対して意を用いた後の心境を指しているのではないかと考えました。

万事、意を尽くす
意を尽くした後の無碍の心境ではないかと思うのです。

茶道の場合は、亭主が最高のもてなしのため、考えられるだけの準備をする。そして客を迎える。迎えた後は客との刹那を主客共に大切にする。つまり、もてなしのために出来る限りの意を用い、その意を卒えた(終えた)後の主客共に即興を楽しむ、自在の心得を指しているのではないでしょうか。

ジャズ音楽におけるセッションのように。

書道でも同じです。練習を積み、技を磨き、工夫から離れ、工夫を卒えた後に、無心になって書いた書のことを「卒意の書」というように解釈しました。

茶道、書道だけでなく、剣道、柔道、合気道など武道も然り、およそ「」というものに通じる心得のように思います。

まさに、意を尽くした後の自然体で意を用いない無碍の境地とでも申しましょうか。

茶道も書道も素人ですが、このような解釈で理解しました。

最後に

私の人材育成の仕事の中で研修講師をしている場面に「卒意」を当てはめてみました。

準備をしっかり行い、研修が始まったら受講者の状態に合わせて寄り添う、最高の気づき、学びの「場」を受講者と協働で創る、そんな「場づくり」を想像しました。

受講者とのまさに一期一会を大切にするために全力を尽くします。

「卒意」の意味を考察する中で、決意を新たにするのでした。

この記事を書いた人

烏山資之

烏山資之

企業で「人の成長」にかかわる仕事に長く携わってきました。

プロフェッショナルとして「人の成長」に関わり続けることをライフワークとし、少しでも誰かの成長のお役に立てればと思っています。

ブログでは、そんな私が学んだこと、気づいたこと、感じたことを発信し、誰かの、何か、前進のヒントになればと思い情報を発信し続けます。

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