「存在を探求しなければならない」カール・ヤスパースの言葉からの刺激

2019年2月23日№ 117 ワンセンテンスブログ 『一日一文  英知の言葉』(木田元編)岩波文庫別冊)の2月23日の一文はドイツの哲学者であり、精神医学者のカール・ヤスパース(1883 – 1969)のこの言葉が載せてあります。

なお、2月23日はヤスパースの誕生日ということだそうです。

哲学そのものは難しくてよく分かりませんが、この引用された言葉を受けての思うことです。

状況の中に巻き込まれて私自身に目覚めつつ、私は存在への問いを発する。状況の中にある私自身を漠とした可能性として見出しつつ、私は、私自身を本来的に発見するため、存在を探求しなければならない。しかも存在そのものを見出そうとするこの試みの挫折の中にのみ、私は哲学するようになるのである。(「私たちの状況から哲学することの開始」)
『哲学Ⅰ 哲学的世界定位』武藤光朗訳、創文社

ヤスパースは、現実に生きている自分の「存在」そのものを問う実存哲学の代表格の人です。

現実に生きている自分というものは有限の「存在」です。
つまり、生まれてから死ぬまでを考えると、寿命はそれぞれ違いますが 70~90歳までというところでしょうか。

この有限の存在である自分は、過去-現在-未来の中で「現在」を生きている最中です。

「現在」を生きている自分を取り出して考えると、次の瞬間にどう行動を選択し、どのように周囲の環境に影響を及ぼすか、多くのいや無限の可能性が秘められています。

今ブログを書いている私は、明日事故で亡くなってしまうかもしれません。しかし、今の瞬間はブログを書いていますし、この瞬間、足を組むことも出来ますし、コーヒーカップを口に運ぶこともできます。ブログを書き終わると身支度をして、セミナーに行くことにしています。出かけなくても構いません。すぐに旅行に出かけることもできます(失踪か?)。(可能性として)妻と別れることもできますし、会社を辞めることも出来ます。

有限の存在であるはずの、現在に存在する私の前には、ある意味、無限の選択可能性・自由が広がっていると言えるのではないでしょうか。

ヤスパースは、有限である自分の存在と無限の可能性のある自分の存在とを包括して、超越者(神さま)の存在を考えました。

私は西洋の精神性や宗教のことはわかりません。
「存在を探求しなければならない」という言葉の内に私が感じ取ったのは、限りある命の中で今の可能性を精一杯広げ、やったことやできることを増やしていきたいという自分の思いです。
一期一会を大切にしないと...ということも改めて思いました。

いろいろなことを知り、学び、いろいろな場面で活用し、有限の人生をどんどん拡張していきたいと感じました。

この記事を書いた人

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西口満

「気づきによる学び、自ら成長する」を支援し、ひとりひとりのウェルビーイングの実現と生産性の高い職場のチームづくりを行い、企業や社会の発展に貢献する

ビジネスリーダー育成コーチ、
人事戦略のコンサルティングをしています。

プロフェッショナルとして「人の成長」に関わり続けることをライフワークとし、少しでも誰かの成長のお役に立てれば幸いです。

ブログでは、そんな私が学んだこと、気づいたこと、感じたことを発信し、誰かの、何か、前進のヒントになればと思っています。

これからも情報を発信し続けます。

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