2018年8月26日、横浜美術館へ行ってきました。
「モネそれからの100年」展です。
カウンセリングやコーチングで共感性や感性、観察力を磨くことにつながらないかなぁ、なんて理屈をつけて時々美術館や博物館に通うようにしています。
でも、いっこうにその効果は上がってこないようです。
そんな固く考えて、絵を見に行くなんて、おもしろくない、もっと純粋に楽しんだり、絵について詳しくなったり、そうでありたいなぁ。
もともと、クーロド・モネは好きでした。理屈はありません。
柔らかい空気、空間、光に包まれる感じ、とても好きです。
印象派の絵は、見たもの、見えたものを画家が感じたままに描いているように聞いています。目に飛び込んで来た光を心のフィルムに映した時にどのように焼きつくのか?画家の感覚、感性に委ねられています。
また、印象派は19世紀後半から多く描かれています。
それまでの古典主義や写実主義の形式やルールにこだわらず、輪郭なしに絵具をカンバスにどんどん載せていく、戸外で光や風を、時間をも感じながら、自由に描いていく。反骨精神のようなものも感じられれば、開放感、日常の飾らない感覚があります。私はそのように捉えています。
最初、見ている時は、ただただ「すごい」「迫力あるなぁ」「きれいだなぁ」ということだけなのですが、だんだんとなんか肌で感じられるというのか、匂ってくるというのか、感覚で受け取れるものがたくさんでてくるのが印象派なのかな、と思っています。
モネと言えば、「水連」の連作が有名です。私の机の横にもレプリカを置いていますが、今回、特に私が好きになったのは、「テムズ川のチャリンク・クロス橋」という作品です。(掲載の写真)
1903年の作品で、モネのイギリス滞在の連作でテムズ川の水、機関車の煙、霧の中の光が目にしっとりと入ってきます。
テムズ川の波、機関車の煙が動きとして霧の空間を通して伝わってきます。
手の届く距離で見ると色の重なり筆遣いが分かり画家の描いている時の目線を体験できます。
少し離れてみると絵を全体として見ることになります。
そこでは画家の個性のようなもの、波動というか、力が感じられます。
もっと離れると、不思議と絵が写真のように見えてきて、集中して見ていると、自分がすっぽりと絵の中に入ってしまったように、その景色のただなかにいるような感覚に陥ります。
絵を目の前にして、近寄ったり、離れたり。
画家はカンバスに手を伸ばして筆で書いています。近くでは、色が並んでいるだけなのに、どうして離れるとこんな体験ができるのだろう、画家って凄いなぁと感じてしまいます。
私はモネが好きです。
私の感性に大きく響く画家の1人がモネということなのでしょうか。
初めて絵画について、書いてみました。