№214 20世紀アメリカ文学を代表する小説家フィッツジェラルド(1896-1940)の言葉から想うことを綴ります。
今日のワンセンテンス
The test of a first-rate intelligence is the ability to hold twe opposed ideas in the mind at the same time, and still retain the ability to function.
『優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういうものだ』(スコット・フィッツジェラルド/村上春樹訳)
フィッツジェラルドと言えば、『グレート・ギャッツビー』の作者として知られています。
ロバート・レッドフォード主演の『偉大なるギャッツビー』として映画化された作品です。
企業人材育成とおとなの学び
実はこの言葉は、教育学者の中原淳氏の著作『リフレクティブ・マネジャー』(中原淳、金井壽宏共著 光文社新書)の中で紹介されている言葉でした。
『リフレクティブ・マネジャー』は「企業人材育成のあり方」、「働く大人の学び」を論じている、極めて人材育成に携わる者にとって非常におもしろい本なのですが、中原淳氏はこの本の「あとがき」の中で、ご自身の関心・研究の対立について述べておられます。
「企業の人材育成のあり方」は究極には企業の利潤追求に資する必要があります。人材育成は投資であり、将来育成された人材が会社にリターンをもたらさなければ意味をなしません。
従って、企業の目的に合致しない「学び」や「気づき」は重要ではないということになります。
一方で、企業人を離れた「働く大人としての学び」として考えた時に、「学び」や「気づき」は企業目的と乖離することが起こる可能性があります。
例えば、ある人が企業の求める人材になろうと、業務に必要な知識・スキルを身に着けるべく一生懸命勉強します。
大いに企業利益に貢献する人材として評価されたとしても、特定業務に向けたスキルであったり、その企業内でしか通用しない狭い視野であったり、企業を離れた時に果たして本当にそれで良かったのか。
「企業の人材育成」という観点では正解ですが、「働く大人としての学び」という疑問が生じます。
例えば、ある人が将来の事業に役立つと思って、企業の外で学び、人脈を広げ、知見を増やしていったとします。
本人はいつか企業のためになると思って努力しますが、一向に活躍の場面は訪れません。企業は「成長のないヤツ」として彼を評価しないようなケース。
「働く大人の学び」としては正解ですが、「企業の人材育成」としては疑問です。
中原淳氏は、このような企業の内と外とのの学びのコンフリクトを乗り越える学問を目指したいとされていました。
研修主催者と受講者のニーズのギャップ
企業内で人材育成に携わっている私にとってもこのコンフリクトは共感できます。
この『リフレクティブ・マネジャー』の一節を読んでいて、これまで何となく矛盾を感じていたことをはっきりさせることができました。
そもそも企業研修と個人のニーズが合致しないことがよく起こります。
企業内の研修では居眠りや内職の人もいます。そもそも命令により「しかたなく」参加している人もいて、受講姿勢が違います。講師に立つと、まず研修に引き込むことから苦労します。
ところが「大人の学びの場」では景色は一変します。居眠りの人は1人も見当たりません。自分が学びたいと来ている人たちばかりなので集中力が違います。質疑も活発になされます。
同じカリキュラムの研修であっても参加者の基本的なニーズ、スタンスの違いによって大きく雰囲気が変わってしまいます。
要は企業が求める人材像と働く個人のありたい人材像にギャップがあるということです。
学ぶに際しての目的や動機が違うということなのでしょう。
企業の人材育成は業務遂行のための知識、スキルを教え込もうとします。目線は教える側にあり、主催者伝授型(押し付け?)の傾向が強くなります。
大人の学びは、興味関心のある分野に対して自ら学ぼうとします。目線は学ぶ側にあり、参加者吸収型(主体的気づき)の傾向が強くなります。
ニーズのギャップの存在には気づいていましたが、人材育成を俯瞰してのコンフリクトとして乗り越えるという発想はありませんでした。
『リフレクティブ・マネジャー』のお陰でギャップとしての認識にとどまらず、克服すべき新たな課題として認識することができました。
コンフリクトを乗り越える
「企業人材育成のあり方」と「働く大人の学び」のコンフリクトを克服する方向性は私なりには見えてきています。
今や終身雇用の時代は終わり、人材流動化が進みつつあります。学校を卒業して、ずっと同じ企業で勤めあげるという時代ではなくなってきました。
この時代を背景に、これまで以上に個人は「働く大人の学び」を重視するようになってきています。どの企業でも通用する知識・スキルを身に着け、自社内にとどまらない人脈を持つよう志向する人が増えてきました。
また、「働く大人の学び」による能力はどこかで誰かが必要としており、ネットで容易に検索される時代です。
能力発揮の機会は自分が所属している企業にかかわらず、いろいろな可能性や選択肢が用意される時代になりました。
企業の人材育成スタンスも変化してきています。
企業を取り巻く環境変化が激しく変化する中、利益直結の「わが社」的な人材育成では通用しなくなってきました。
変化に対応するためには、自社の枠にとらわれない多様な人材が必要となり、人材育成は一律にはできなくなりました。
企業の人材育成も従業員に「大人の学び」を奨励する方向へ変化しつつあります。
また、企業にとっては、人材育成をじっくりやっている時間はないので、中途採用で今の経営課題を解決する即戦力を確保することが多くなりました。
人材確保の観点でも個性的な人材を受け入れ、伸ばすしくみを整備する必要がでてきています。
「企業人材育成のあり方」と「働く大人の学び」のコンフリクトは、「個性を磨く学び」で統合していくことはできないでしょうか。
個人は自分の興味関心を磨いて尖がっていく、企業が多様性尊重の名のもと個性の伸長を応援し、活用していく。
このような人材育成のしくみが社会に根付いていけばいいなぁと思っています。
中原淳氏のコンフリクトの解釈が私なりで浅いかもしれません。
時代は「働く大人の学び」に偏ってきているように思います。
私は、「個性を磨く学び」を大切に、活動をしたいと決意を新たにしました。ジェラルドのフレーズからは少し離れましたが、2つの対立概念のうちどちらかを選択するというよりそれを克服する第3の道を考える姿勢からの気づきでした。