シレジウス「薔薇はなぜという理由なしに咲いている」、個性の発揮に対するひたむきな姿勢を大切に!

№211ワンセンテンスブログ、ドイツの詩人、シレジウスの名言を取り上げました。

今日のワンセンテンス

シレジウス(1624〜1677)はドイツのバロック時代を代表する神秘主義的宗教詩人
人と神との霊的合一の可能性を歌った詩人として知られています。

薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべくして咲いている。薔薇は自分自身を気にしない。ひとが見ているかどうかも問題にしない。
『シレジウス瞑想詩集』植田重雄・加藤智見訳、岩波文庫

シレジウスの言いたかったこと

シレジウスは薔薇を人と見做して、人はただ在るべくして在る、を言いたかったのではないでしょうか。

シレジウスは、人と神の合一を考えた詩人です。

神の存在理由を問うことは不遜で許されないことであるとすれば、神とともにいる人が自分自身の存在理由を問うことも許されません。ナンセンスなことです。

人はあるべくしてただ在ればいい、ということになります。

他人がどう思うかについても問題ではありません。神と共にただ在ればよいということになります。

私の素人解釈なので間違っているかもしれません。

個性を無条件に受け入れる

私がこの言葉を取り上げた理由は、薔薇という言葉を次のように「個性」に読み替えたことに因ります。

個性はなぜという理由なしに人間それぞれに備わっている。個性は“今ここ”にいる存在そのものであり、ただ在るべくしてある。個性は自分自身を気にしない。個性は他人にどう評価されようが問題にしない。

「私は、なぜあなたではないのか」という質問に対して「そんなこと聞かれても~」となりますし、「私は、私である」としか答えられないのではないでしょうか。

それぞれの個性はそれぞれのひとに不可分に備わっているものです。そこに理由はありません。

個性はただそれぞれに“在る”だけで、そこに自分自身の解釈が入り込む余地はなく、無常件に受け入れるのみです。まして他人から評価を受ける筋合いのものでもありません

シレジウスの言葉をヒントに、そんな個性の在り様が私の心の中に浮かんできました。

個性の発揮について

個性を発揮することについて考えてみたいと思います。

個性を形作っているものと言えば、顔や容姿、趣味、好きなこと、経験、考え方や価値観などがあげられます。

個性を発揮するとは、自分の好みにあった服を着て、好きなこと、得意なことをやり、自分の考えを表現することが思い浮かびます。

備わっている個性そのものの在り様に質問を向けても意味がないとしましたが、個性をどの様に使うか、については意味があるように思います。

私の考えは、個性の発揮の時の行動がしっかりした使命や志に基づいていることが大切だと思っています。

例えば、「自分の持てるスキル、経験を活かした人材育成を実践することで社会に貢献する」という使命を持っていれば、それに相応しい振舞い、姿勢に気を付け行動する、必要なスキルを鍛錬、経験を積み、そのための価値観を模索し続ける。

「良い夫、父親として家族を守る」を使命と考えれば、それを果たすための行動を真剣に考え、実践する。

個性を発揮する時に、どこへ向かおうとしているのかかをハッキリさせるということです。

そういう意味で、「私は、なぜあなたではないのか?」という質問は重要です。

「私は、私自身にとっての(あなたにとってではない)やるべきことを持っているから」と回答することになり、「では、そのやるべきこととは何ですか?」という使命や志を問う質問へのきっかけになるからです。

使命や志を問うということは個性を大切にするということにつながります。

個性の発揮へのひたむきさ

使命や志に基づく行動が個性の発揮に重なっています。

個性の発揮に使命が働いている。自分自身を気にしない。ひとが見ているかどうかどうかも問題にしない。ただ使命に対する「ひたむきさ」があるのみ。

薔薇の在り様から個性の発揮に対するひたむきな姿勢の大切さに思い至りました。

この記事を書いた人

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西口満

「気づきによる学び、自ら成長する」を支援し、ひとりひとりのウェルビーイングの実現と生産性の高い職場のチームづくりを行い、企業や社会の発展に貢献する

ビジネスリーダー育成コーチ、
人事戦略のコンサルティングをしています。

プロフェッショナルとして「人の成長」に関わり続けることをライフワークとし、少しでも誰かの成長のお役に立てれば幸いです。

ブログでは、そんな私が学んだこと、気づいたこと、感じたことを発信し、誰かの、何か、前進のヒントになればと思っています。

これからも情報を発信し続けます。

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