「才能」の陰に「努力」あり、「好き」あり

2019年2月27日ワンセンテンスブログNo.121

クリエイティブディレクターの水野学氏の講義の言葉を切り取りました。

水野学氏、クリエイティブディレクター/クリエイティブコンサルタント、熊本県キャラクター「くまモン」や相模鉄道「相鉄ブランドアッププロジェクト」などを手がけられた方です。

「才能」と「努力」の関係について考えてみました。

ただ、僕は絵を描くことがすごく好きだから、努力を努力とも思わずに努力してきました。だから、センスがある人たちのことを「才能」なんていう言葉で片付けて欲しくないのです。努力にも満たない努力を繰り返して、繰り返して、繰り返してきたのですから。つまり、センスは本人の努力による知識の集積によって作られてきたのです。(「0→1を生み出す発想の極意」より「クリエイティブディレクションってなんですか」(水野学 講義)六本木大学講義録1、日本経済出版社)

今、「才能」を発揮している人はもれなく人並み外れた「努力」をされていると思います。

水野氏は「好きだから」と自らは強調されませんが、それでも「繰り返し」×3で語っておられます。簡単なものではなかったのでしょう。

「才能」とか「天賦の才」という言葉で他者を評するのは、「努力」もチャレンジもしない人のやっかみもが背後にあるように感じられます。

「才能」が関係するのは、例えば、10に到達するのに10のトレーニングで到達する人と5のトレーニングで到達する人の差はあるかもしれません。(同条件のトレーニングと仮定して)

ただ、「努力」に対する苦労の感じ方は様々で、5のトレーニングでもとんでもない苦労に感じることはあります。

「努力」も「才能」であるという考え方もあります。

「努力」をもう少し砕いて考えてみましょう。

「コツコツ取り組む」「集中する」という努力の方法があります。

一方で、「時々の関心事に合わせて柔軟に広い視点で取り組む」という努力の方法もあります。

「しっかり戦略・計画的に取り組む」方法もあれば、「目の前の課題に苦難を物ともせず、果敢にスピーディな行動で突破していく」方法もあります。

どうも「努力」という営みにも人それぞれあるということになりそうです。

そこで、「才能」は「個性」であると読み替えると、「才能」の有り無しは「個性」の有り無しということになります。

「個性」はそれぞれが等しく持っているものです。

では、「才能」がないというのは、「個性」がないというよりも「個性」の発現がなされていないということになります。

「個性」を発現させるには、自分にとっての「強み」に着目し「好きなこと」をはっきりと意識することです。

「好きなこと」であれば、集中もでき、計画も立て、苦労を物ともせず行動することができます。

考えているうちに、『「才能」の陰に「努力」あり → 「才能」の陰に「好き」あり』というフレーズが頭をよぎりました。

この記事を書いた人

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西口満

「気づきによる学び、自ら成長する」を支援し、ひとりひとりのウェルビーイングの実現と生産性の高い職場のチームづくりを行い、企業や社会の発展に貢献する

ビジネスリーダー育成コーチ、
人事戦略のコンサルティングをしています。

プロフェッショナルとして「人の成長」に関わり続けることをライフワークとし、少しでも誰かの成長のお役に立てれば幸いです。

ブログでは、そんな私が学んだこと、気づいたこと、感じたことを発信し、誰かの、何か、前進のヒントになればと思っています。

これからも情報を発信し続けます。

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